数年前は、料理写真を撮ることにどはまりしていた。
結果、よかったなと思うのは、食材の旬に敏感になったことだ。
山椒の実はこの時期じゃないと手に入りにくいとか、
アメリカンチェリーは数週間が勝負とか、
人生長いこと生きていても、全然気にしていなかった=知らない、ことに
関心が向くようになって、人生の幅がほんの少し広がったような気がしている。
ここ1年ぐらいは、撮影対象が広がったことで、
四季折々の風物などにアンテナが立つようになった。
そうしてみると、身近なところに素敵なものがたくさんあることに気が付く。
古代蓮という植物の名前をなんとなく聞いたことはあった。
埼玉県の行田市が有名らしいが、川越市にある伊佐沼でも古代蓮が見られる・・と
知り合いから教えてもらった。
そもそも、つい最近まで「ハス」と「スイレン」の違いもわからなかった私である。
古代蓮というくらいだから、古代からある蓮なんだろう・・程度の認識しかない。
(実際はそんな単純な話じゃないようだけど、話が長くなるので割愛)
実際に訪れて、想像していたよりずっと古代蓮の数が多いことに驚く。
なんだか練馬にある一面のキャベツ畑のようだ。
直前まで雨が降っていたので、花にも葉にも多くの水滴が残っていた。
やっぱり水辺の植物には水滴が似合う。
それに、写真ではわかりにくいんだけれど、
開きかけてるつぼみは大きいものだと、バレーボールぐらいの大きさがある。
開いた葉っぱもそりゃダイナミックで、なんだかスケール感に圧倒されてしまう。
訪れたのは7月半ばなので、まだ花が先揃うピーク前ではあるが、
天に向かって伸びる太くまっすぐな茎とつぼみは、実に堂々としていて、
なんだか元気がもらえる感じがした。
地図上でみると伊佐沼はそれほど大きいとも思わなかったが
実際に現地に来てみると、「沼」というイメージとは違う開放的な雰囲気がある。
そもそも、沼ってなんだろうか?池とはどう違うのか。
沼といえば、私の中では「そこなし沼」のイメージが強い。
ネバーエンディングストーリーに出てきた「悲しみの沼」のシーンは衝撃的だった。
伊佐沼は古代蓮が咲き誇り、水辺の生物が集う場だ。
私が抱く「沼」のイメージとは違う。その理由をもう少し調べてみたくなった。
後編へつづく