前回に引き続き、アニマルセラピーの現場を紹介していく。
アニマルセラピーでは今のところ、猫の参加率は犬ほど多くはない。
しかしセラピー参加者には猫好きの方も多く、とても人気がある。
今回は、スタッフがずっと抱きかかえてのセラピー参加。
猫のタロウ君が不安を感じないようにということと、
他の犬たちとの不要な接触を減らすという配慮がある。
45分という時間は、楽しんでいるとあっという間であるが、
やはり参加している動物たちにはそれなりのストレスがかかる。
ボランティア活動の参加歴が長いベテランの飼い主ほど、ペットが感じるストレスサインに敏感だ。
無理がかからないタイミングで、適度に会場のすみで休憩をとる。
これもまた、コンパニオンアニマルとして、ともに長く活動するための秘訣だろう。
ふれあいタイムが終わると、高齢者の方々も参加できる簡単なゲームがいくつか行われる。
下の写真は、スタッフがサポートしつつ、実際に参加者に輪を持っていただき、
動物たちが輪くぐりをしている。
子供や孫たちの運動会をみるようで、応援にもつい力が入る。
個人的にもっとも印象的だったのは、ジャーマン・ショートヘアード・ポインターという猟犬にあたる犬種も参加していたことだ。
しっかりしつけがなされていれば、こうしたタイプの犬も、セラピードッグとして活躍できる。
下の写真では、別の犬たちがゲームをしている様子を、クールな瞳でじっと見つめている。
そばによりそう参加者も、まるで自分の飼い犬であるかのように、自然に首元に手を置く。
プログラムも終盤、2回目のふれあいタイムとなる。
中央の輪から少し離れた場所で、静かに様子を見守っていた男性のそばに、
さきほどのザイオン君が近寄ってきた。
精一杯の親愛の情に、男性の顔もほころんでしまう。
セラピーが始まったころに比べると、参加者もとてもおだやかな表情になってきている。
会場全体が、なんというか多幸感につつまれたような雰囲気になっているのだ。
最初はなかなか打ち解けられなかった女性も、終始笑顔で接するスタッフの話に耳を傾ける。
こちらの男性は、動物そのものとふれあうのは、実に数十年ぶりとのこと。
久しぶりの感覚を、静かに楽しんでらっしゃるようだった。
会場入り口近くで、他の参加者とはまったく会話せず、
左手に大事そうにお人形をずっと持っている女性がいた。
動物が近寄っても、スタッフが話しかけても、ほぼ無表情。
もしかしたらこういう場はお嫌いなのかもしれないな・・と感じ、
時折ご様子を遠目にみさせていただいていた。
ところが、プログラムもほぼ終わりになる頃、シエル君の頭を撫ではじめたのだ。
口元にも僅かに笑みが浮かんでいるようにみえる。
押しつけがましくなく、しかし粘り強く話しかけ続けたスタッフの気持ちが少し通じた瞬間だ。
セラピーが終了したあとは、参加者の方をお見送りするため、
スタッフが出口付近に勢ぞろい。
45分間、楽しい時間をすごせていただけたようで、部外者の私もうれしくなる。
アニマルセラピーには、3つの立場がある。
セラピーに参加して癒される人。
癒しを提供する動物たち。
そして、飼い主を含め、その癒しをサポートする人たちだ。
セラピーに参加する動物たちは、基本的に飼い主と密なコミュニケーションがあり、
コンパニオンアニマルとして、人とともに生きる確固たる立場がある。
こうしてセラピーの現場を見るまでは、単に動物たちはかわいがられているだけという浅い認識だった。
しかし、実際は違う。
動物たちは、単に遊びに来ているわけじゃないことを理解しているように思える。
それゆえだろうか、終始私が彼らに対して感じたのは、「かわいい」という愛でる対象ではなく、
社会でそれぞれに与えられた使命を果たす、仲間、同志であるかのような感覚だった。
よく語られる、アニマルセラピーにおける「触る」ことによる効能はもちろんある。
しかし、それだけではない。
それぞれの立場で同じ空間に集い、会話し、時間を共有する。
時間を共有することは、そこで起こりうる事を分かち合うことだ。
仲間という語源は、1つのパンを分け合うことから派生しているという。
そこから生まれるものが、関わる人たちを成長させる。
アニマルセラピーとは、そういうものなのかもしれない。