こちらの写真は、昨日アップした旧入間川橋梁(西武池袋線)近くの川面。
水位は低く、想像以上に透明度が高く、黒い魚(鯉?)が悠然と泳いでいた。
酷暑が続く中、水紋広がる写真をもう1枚。「りーん」と風鈴の音が聞こえてきそう。
そんな涼しげな写真のあとで、載せるのは気が引けるけど、
西武池袋線の探索を終えて元加治駅についたとき、この状態。
お見苦しいので、ぼかしを入れているけど、このありさま。
まだ9時台なんですけどねぇ
しかし、もう1か所いかねばならない場所がある。誰に頼まれたわけでもないんだけど。
その場所は、西武池袋線よりも北にある東武東上線。池袋発という点では同じだけど、
北西に長くのびていく電車である。
当時の東上鉄道が開業した東上線は、前回の西武池袋線とほぼ同じ時期、大正3年(1914年)に、
池袋駅から田面沢駅の間に列車を走らせた。(田面沢駅は大正5年に廃止)
その2年後の大正5年(1916年)に、坂戸町駅(現 坂戸駅)まで路線が延長されたのだが、
このとき、入間川を通過するための鉄橋が架けられた。
西武池袋線と経緯が大変似ているが、その後、
昭和40年(1965年)に川越から坂戸までが複線化されたことに伴い、
古い鉄橋に変わり、新しい鉄橋が作られて現在に至っている。
前回の探索に引き続き、その古い橋の遺構を訪ねていくことにした。
歴史の忘れ物は、東武東上線の川越市駅と霞が関駅の間、入間川の左岸にある。
上の地図で言えば、入間川の左側、霞が関駅に近い側である。
ちなみに、川岸の右左を言う時に、ルールがあるのをご存知だろうか。
川の上流を背にして左側を左岸、右側を右岸というらしい。
私は全く知らなかった、いや、多分こどもの頃に習った気もするが、完璧に忘れていた。
上の地図の入間川は、下方向が上流、上方向が下流となるので、霞が関駅側の岸は左岸となる。
実際に自分でいろいろ調べているときに、ここで少し違和感を感じた。
直感的な感覚だが、上の地図でいえば、北側が上流で南側が下流のような気がしたのだ。
でも、実際は逆だ。
もっと縮尺を小さくした下の地図をみてみよう。
先日の西武池袋線と入間川が交差するところが、地図中央左端にある赤い丸。
今回の東武東上線と交差するところが、その右上の緑の丸だ。
入間川は入間市から川越市に向かって北上し、川越市でカーブを描いて一転南下する。
そしてオレンジの丸のところで、荒川と合流している。
これをみれば、今回の場所では、下が上流、上が下流ということがよくわかる。
さて、やっと本題である。東武東上線の霞が関駅で降り、北口から東へ、入間川を目指す。
甲子園球児たちが熱中症対策にペットボトルを握り、手から冷やすのがいいと、ニュースで紹介されていた。
わたしもそれに習い、ペットボトルを握りながら住宅街を歩いていく。それにしても暑い。
お目当ての煉瓦造りのモノがみえてきた。あれだよ、あれ!
その向こうに見えるのは、現在の入間川橋梁(東武東上線)だ。
煉瓦の橋台をじっくり眺めたい衝動を抑え、まずはこちらの橋をチェック。
まぁチェックといっても、眺めるだけなんです。すみません。
こちらは、三角形を構造骨組みの単位としたトラス構造をベースとした「ワーレントラス橋」だ。
なんか、ザッツ鉄橋というイメージがあるね。
ワーレントラス橋を背にして、霞が関駅方向に振り返ると、
さきほど素通りした煉瓦の橋台が目に入る。
しかし、この落書きはどういうことだろうか。
100年以上も風雨を耐えしのぎ、現役引退した今も静かに余生をすごす遺構に対しての
尊厳を踏みにじる行為だと思う。
近づいてみる。
事前にこの写真をみた知人が、「単線にしては土台の幅が広い気がする」と言う。
私は鉄道にも詳しくないので(今回、何もかも詳しくないよ 笑)、
そこはまったく気が付かなかったけど、そうなのか。
さらに、いろいろ調べてみると、少しわかってきたことがある。
煉瓦の橋台の上には、石のようなものが設置されている。
中央部にある、小さめの石(床石)がレールを設置した場所で、
その両サイドにある、一段下がった大きめの石の上には、トラス構造の橋を設置した
と考えると、この広い橋台の様子にも納得がいく。
実際にトラス橋を設置した状態がよくわかる写真がこちらの サイト、「鉄道旅のガイド」 載っている。
8枚目と9枚目の写真をご覧いただければ、この橋台が現役で稼働していた時のイメージがわくだろう。
実は数年前のことになるが、通勤で2年ほど、電車に乗ってこの場所を通過していた。
毎日毎日通っているのに、ついぞこの煉瓦の橋台に気付きもしなかった。
人間って、興味のないものは、ただの風景になってしまうんだなぁ・・。
この煉瓦の橋台は、現 入間川橋梁の下流側、左岸に残されているのみ。
右岸には残っていないようだ。
できれば、このまま大切に残していただきたいと切に思う。
上の俯瞰図、最初に訪れた西武池袋線の入間川橋梁を臨む方向でキャプチャした。
遠い昔、まだ電化される前、住宅もまばらだった頃、2本の列車が人々の生活と夢をのせて
この武蔵野の地を走り抜けていたことに思いを馳せて、今回の探索を終わりにしたい。
おまけ
霞が関駅に戻ってきたときには、あたまから水をかぶったごとくの有様。
あまりにもひどい顔だったので、写メをおくった友人からは、
「返信するのがためらわれたわ」と言われ(ひどい! 笑)
そのまま返事がこなくなったというオチつきである。